ゲネラール・プローべ

昨年、第九の演奏会のパンフレットに寄稿を書くことになりました。
どんなふうに演奏会が企画されたかから始まり、どんな練習をしただとか、誰にお世話になったとか、どんな経緯で小林研一郎先生をお呼びすることになったとか、合唱団をどう組織したかとか、そんな内容のものです。

そして、如何にして私たちが第九に巡り合い、演奏するに至ったか。
…という文章を書く役が、どういう人選なのか自分に回ってきたのです。

草稿を上げ、おーうらさん(伝説の書記出版長)を通して団長に渡りました。
第一稿は、どれだけの歳月をかけて演奏会の準備に取り組んだか、ということを強調した仕上がりになっていました。

2年半の歳月。
私たちには、大学生活の全てをかけた期間とも錯覚される日々でした。

草稿をご覧になった団長は言いました。
『いやあ、あの文章なかなか良いんだけどねえ…ちょっとなあー。』
『こうね…君らにはまだ分からないと思うけども、実を言うと2年半ってのは、社会人にとってはちっとも長くないんだ。あっという間なんだよ。』

衝撃でした。でも確かに、その通りなのです。そして、この後に続いた団長の言葉は、こんな感じでした。

『4年間なんて時間をこんなに充実させられるのも、大学生活が最後かもしれないね。僕くらいになると、そういう意味では若者が羨ましいよ。大切にしなさい。』
『で、原稿は書き直しね。』


あれから、更に1年が経ちました。

明日の演奏会は、私たちの4年間の全てです。そして、その4年間は決して「あっという間」ではありませんでした。
絶望と葛藤、挫折が在りました。未知へ挑戦し続ける動機が在りました。
あくなき探究心と、好奇心。そして至高の芸術である音楽への無償の愛情が在りました。

私たちは、音楽が与えてくれる感動を知りました。

第九を経験した私たちが、最後の演奏会でお贈りするのはブラームスの交響曲第1番です。
ハンス・フォン・ビューローは、この曲を「ベートーヴェンの10番」と喩えています。
望外の巡り合わせであります。
月並みの表現しかできませんが、明日の演奏会は最高の音楽をお贈りできるものと確信しています。

22年間の人生で出会った全ての人たちへ。
私は成長しました。明日、ご覧に入れてみせます。