「本人の写真」使用のススメ

各SNSに対する考え方/重要度/使い方/捉え方/棲み分けは人それぞれ違うので仕方のないことなのだが、Facebookのプロフィール写真を「本人の写真」以外のものに設定している人を見ると、言い様のない不快感というか、勿体ない気持ちというか、残念な気持ちになる。

しかし、それがTwitterやはてななら全く構わないと思う。なぜそう思うのか自分でも不思議なのだが、寧ろTwitterとなると一般人が本人写真をクソまじめに載せているのは逆に相応しくないように思う(と言いつつid:epytoeretsも[twitter:@epytoerets]も思いっきり本人写真なのだが)。

一応、いま意識して調べてみたところ、Twitterでは「プロフィール画像」と呼ぶのに対し、Facebookでは「プロフィール写真」になっている。
以下、独断で定義を考えてみた。

Twitterのプロフィール画像

本人自身を表すものだけでなく、本人のセンス/好きなもの/好きな場所を表す「画像」の総称。要するに、お気に入りの画像を設定しておくことで、他の人がそれを見たときに何となく人となりが分かるような、そんな画像であれば良いと思う。

例えば「ペットの写真」が分かりやすい。犬が好きなんだな、犬を飼っているんだな、と分かる。そんな感じ。

あとこれは知り合いの女性に実際にいるのだけど、自分のネイルの写真をTwitterのプロフィール画像にしている。それを見ただけで、どんな女性なのかだいたい分かる。そんな感じだ。

Facebookのプロフィール写真

「本人の写真」そのもののこと。例外は存在しない。従ってFacebookというのは「顔を見せられない相手」とはそもそも友達になるべきではない、そういう使い方をしなさいというコンセプトの元で運営されていると解釈することができる。

…と、自分は思っているのだが、人によっては正反対の捉え方(使い方)をしている人もいるだろう。何度も書くように、これは仕方のないことなのだ。

本人の写真に設定している人

好感が持てる。ちゃんと名前と顔を公にすべき場所で公にできるということは一端の大人である最低条件であるように思われる。ああ、この人はちゃんとした大人なんだな、という気分にさせられる。
(つまり、自分にとってFacebookは「ちゃんと名前と顔を公にすべき場所」なのだ。)

強いて機能的利点を挙げるならば、同姓同名の別人ではないということの確認になったり、名前だけでは思い出せなかった知り合いが写真を載せていたおかげで誰だったか判明したり、という場合が考えられる。

本人が選んだ本人の写真≒ベストショットである

実はここが本題である。この話を書きたくて、本日のエントリーを更新している。

冒頭に、本人の写真以外に設定している人は勿体ない、残念だ、と書いた。なぜなら、本人の写真を設定しているほとんどの人は「自分で選んだ自分の写真」であるが故に、ベストショットであるからだ。これが見られるのは本当に素敵なことだと思う

こうしたベストショットを見ることが自分は大好きだ。先述した機能的利点なんかよりも数百倍重要だ。本人の写真を使っている人たちの、その選ばれた写真はみんな本当に良い顔をしているし、イケメンだし、美人だ。容姿の話ではなく、表情の話である。

SNSは情報化社会の賜物だ。バーチャルの世界だ。しかし、結局それを使っているのは人間である。バーチャルの中に持ち込まれたリアルであり、リアルであるが故の人間らしさがその内容の魅力である。そして最も人間らしさを端的に表しているのが、このプロフィール写真なのではないかと思うのである。

幼い頃の本人の写真

「若い頃」ではなく「幼い頃」なのがポイント。誰だか分からないくらい昔の写真を載せているパターン。逃げ方としてはベタだが、これは何も載せていないのと同じである。

自分で描いたイラスト/撮影した風景/食べ物/物品/観光名所等の写真

意味が分からない。本人が写っていないのにプロフィール写真とは何事か!とツッコミたくなる。
ただし、これらはTwitterならば寧ろ非常に相応しい画像であると言える。

子ども/ペット/所持している縫いぐるみ・フィギュア等の写真

これも意味不明だ。本人が写っていないどころか、別のものを写しているという点で無駄な誤解を招く可能性すらある。

プリクラ

数少ない例外。こちらは本人が写っているが、寧ろペットの写真以下だ。恥ずかしくないのかと思う。

別にプリクラという文化を卑下しているわけではない。自分もプリクラは何度も撮ったことはるあるし、画像をSNSに載せたこともあるし、知人にメールで送ったこともある。しかしそれとこれとは全然違う。Facebookのフィードにプリクラのプロフィール画像を並べられるのは、例えるなら一人一品持ち寄りのホームパーティにドヤ顔でコンビニ弁当を持ってこられたような気分だ。確かにコンビニ弁当って即席で美味しいものが食べられ、急いでいるときやサッと食事を済ませたいときにはこれほど便利なものはない。しかし、それが歓迎される場面というのは限定される。

なんて言うかなあ、プリクラって露骨な修正が入るじゃあないですか。あれが苦手過ぎる。みんな同じ顔になるし。プリクラを「写真」と呼ぶのは、ねるねるねるねを料理と呼んでいるのと自分の中では同じ感覚なのだ。

芸能人の写真/二次元/好きなCDのジャケット/その他の著作物

本題からは逸れるが、センス以前の問題。FacebookとかTwitterとか関係なし。
インターネットをやるな。犯罪者どもが。と言いたい。

「じゃあお前はどうなんだよ?」っていうツッコミに対して

偉そうに定義を述べ、人様のプロフィール画像を調査し、考察し、上から目線で批評した。自分でも、随分罪深いエントリーを更新してしまっているなあと反省している。でも、ある意味これは止むに止まれず書いていることなのでお許しいただきたい。
せめてもの罪滅ぼしに、自分の写真を1枚載せておこう。これもある意味、自分で選んだベストショットである。