「そのとき」の為にブログを作っておけという話

本エントリーはTwitterに投稿通知を飛ばします。まんまとTwitterからやってきた皆様へ。

ブログを作りましょう。

今日は書かなくて構いません。エントリーは「そのとき」が来たら書きましょう。肝心なのは「そのとき」にササッとログインをして、心ゆくまで文章を書いて、エントリーを投稿できる状態を作っておくことです。

はてなブログがオヌヌメです。
はてなブログとは - はてなブログ

または、FC2でもlivedoorでもAmebaでもなんでも構いません。
以前ブログを作っていたという方は現在もログインできるか試すだけで構いません。

もう、ぶっちゃけて言うとブログじゃなくても良いかも。

  • いくらでも長い文章が書けて、
  • その文章がずっと保存されて、
  • 公開できて、
  • エントリー毎にURLが生成されて、
  • つまりエントリー毎にシェアできて、
  • 可能ならTwitterに投稿通知を飛ばせると尚良し

というサービスなら何でも構いません。ってこれブログだわ

もちろん、今日さっそくエントリーを書いてもいいですよ。ブログ始めました!とか投稿すると気持ちが引き締まって良いかも知れませんね。ですが、別に気持ちを引き締める必要もありませんので今日は放置しておいて構いません。ブログを作り終わったらいつも通りの生活を送って、いつも通りにTwitterを使ってください。140文字しちゃってください。必ず「そのとき」が来ます。

じゃあ「そのとき」っていつだよ

皆様は素晴らしい人生を送っています。好きなもの、心酔するものへの情熱が迸るはずです。衝動に燃えるときがあるはずです。または、嫌いなものや恐れるものへの嫌悪が溢れるときがあるでしょう。それをツイートするとき、皆様は「あ、140文字オーバーしちゃう」ってなるはずです。構いません。取り敢えず140文字ツイートしましょう。で、足りなかった分は、仕方ないので次のツイートに回しましょう。結果的に280文字くらいを2回のツイートに分けるはずです。それでも足りないときは、420文字を3回のツイートに分けるはずです。以下中略。情熱と衝動に燃えたとき、140文字たっぷりのツイートを5連続くらいしちゃうはずです。それは700文字の「文章」になっているはずです。

または、こんなことはないでしょうか。自分でもよく分からない、もやもやとした消化しきれない情動が溜まっているとき。晴れることない鬱憤が心を埋め尽くすとき。そのことを80文字くらいでツイートするんです。少し言葉に出したことで、次の言葉が出てきて、またツイートして。自分の心に何か変化があって、気付いたら短文を10連続くらいツイートしてるはずです。それもやはり、800文字くらいの「文章」になっているはずです。

それが「そのとき」なんです。

待ってました。この瞬間の為に、皆様にブログを作っておいて頂いたのです。是非その連続長文ツイートをコピペして、整形して、加筆しちゃってください。面倒だったらツイートをコピペするだけでも構いません。それはもうツイートではなくて、1本のエントリーになっているはずです
(いきなりエントリーに起こすのではなく、まずはツイートして、それをコピペするのがミソ。)

過去の連続長文ツイートも掘り起こしてみましょう。

Twitter歴の長い方は是非、思い出してください。以前、連続ツイートしたはずです。長文ツイートしたはずです。作ったブログにコピペしてみてください。加筆修正してみてください。それは、過去の、あなたが生きたその瞬間に抱いていた情熱であり、衝動であり、鬱憤であり、心の揺らめきだったはずです。やっぱり、あっという間に1本のエントリーが出来上がるはずです。

そのエントリーの集積がブログとなり、ブログを数年続ければ、それはあなたの人生の物語になるはずです

f:id:epytoerets:20141231003744j:plain

※関係ない画像を挟んだのはスペースを稼ぐためである。

以下、雑記

4年半越しに、あのとき自分が何を言いたかったのか、ふいに何となく理解したので、メモがてらエントリーを起こした次第だ。
cf. 7じこ(@epytoerets)がTwitterをやめる理由 - epytoerets
いま読み返すと、まあ若いことよ。尖っていて、あのときの不器用な自分が思い起こされる。しかし正直に言うと4年半前も現在もほとんど同じことを考えている。Twitterはもったいない。時間がもったいないだけではない。何も考えずに短文として消費してしまった情熱は、その瞬間に全ての思考が停止してしまう。もっと人々は「文章」を書くべきだ。時間を掛けて、情熱、理念、衝動、心の底から溢れる何某を脳みその中でこねくり回して、熟成させて、昇華させられるはずなのだ。ああ、本当にもったいない。

おとといのツイート、覚えていますか。

Twitterは過去の特定の日付にアクセスする機能はない(外部サービスやクライアントや特殊な検索機能を使用した場合を除く)。過去のツイートを読むには通常はひたすら画面を下に向かってスクロールしなければならない。100人もフォローすれば、画面はあっという間にいっぱいになる。せいぜい24時間も前のツイートなんて「おとといの晩ごはん」を覚えていないように、もう誰も読まない。インターネットの何処かに忘れ去られた藻屑は、この世界に存在していないも同然だ。

画面に並ぶツイートは、後から見返してみると非常に煩雑で醜悪だ。こんな汚いものは自分が理想とした日常の記録ではない。

4年半前の自分の言葉だ。こんなものは自分の人生の物語には到底なり得ない。

「その瞬間」が永遠に残る醜悪さ

厳密に言うと、上記した4年半前のエントリー以降、自分は何度もTwitterを利用しているし、ツイートもした。本ブログからのエントリー投稿通知もほぼ毎回行っている。
この数年でTwitterもかなり進化し、特にリプライの通知は驚くほど便利になった。突発的な飲み会の切っ掛けになったり、ちょっとした情報のやり取りにはその利便性を余すところなく発揮した。決して恩恵を受けていないわけではない。そういった瞬間的なコミュニケーションにおいてTwitterは他の追随を許さない素晴らしいサービスとなっている。しかし、それ故に思うのだ。24時間くらいでツイートは消えれば良いのに、と。瞬間的なコミュニケーションを後から見返す(ことができる)というのは、140文字の羅列という性質上、実に醜悪だ。

みんなの人生の物語が読みたいんだ

瞬間的なコミュニケーションは、時間の経過と共にクソほど「どうでもいい」存在になる。しかし同様に、末永く残しておいて見返すことに価値のある情熱というのも確かに存在している。それらは各人の長文ツイートや連続ツイートに見え隠れする。それこそが人間味であり、人生であると自分は思っている。煩雑なツイートたちと混在するが故に、24時間足らずで流されてしまうのは心底もったいない。是非ともそれをエントリーに起こして欲しいのだ。自分がフォローしているユーザーたちは、みんな素晴らしい人生を送っているし、みんな実に興味深い、素晴らしく人間味のある連続ツイートをすることがある。みんなの書いた文章が、みんなの人生の物語が読みたいんだ。