午后の授業

大人になるということは、人生のさまざまな不条理を、どうにかして受け入れる覚悟をするということです。
(滝田先生)


幕が上がる』を観たので、原作の幕が上がる (講談社)も、やっと読みました。

映画の方は、爽やか過ぎて王道過ぎて、そして本当に地味な青春映画だった。高校演劇は一発勝負の舞台を1時間やって、それで終わり。学生時代の部活動特有の切なくも残酷な、そして輝かしい青春を描いている。吹奏楽部だった自分は、僅か7分の本番に夏休みの全てを注ぎ込んだ経験が思い起こされ、涙せずにはいられなかった。きっと、この映画を見る誰もにそうさせるであろう、ど真ん中の青春映画だった。もう一度言うが、本当に地味な映画だ。最後に『走れ!』が流れるまで、ももいろクローバーZが主演であることを忘れていた。銀幕に写っているのはアイドルたちなのに、不思議なことだ。

その後に原作を読んだ。実はずいぶん前に買ったのだけど、開かないようにしておいた。その方が良いと聞いていたから。

小説の方は、やはり、悔しいことに映画の何倍も良かった。この順番で良かった。ちなみに本文は全て主人公の一人称なのだが、映画を観た後だったから、全て百田夏菜子の声で脳内再生された。
作中劇である宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』において、ジョバンニは、銀河鉄道で宇宙を一周する旅をして、親友カンパネルラの死を受け入れる。現実世界に戻り、夢の中の銀河の旅が何を意味していたのかを理解したとき、ジョバンニは親友の死を乗り越え、人間として大きく成長している。それは主人公の高橋さおりが、終盤で吉岡先生が演劇部員を裏切る形で女優の道へと進んでいったことに多大な喪失感を受けながらも最終的には自分たちの置かれた状況を受け入れ、自分たちの力だけで県大会まで諦めずに演劇を続けることを覚悟し、その先に待っている全国を目指し続ける姿と重なる。

どこかで聞いたような話だ。わけの分からないまま結成させられ、大人にわけの分からないことをやらされ、メンバーが女優の道へと進んで辞めていった苦難と、自分たちの置かれた状況を受け入れ、尚も高みを目指し続けるトップアイドルの姿にも似ているし、誰もが大人になるために経験したであろう「人生のさまざまな不条理」を受け入れる姿、すなわち全ての読者の経験とも重なる。

誰もがそれを経験するのだ。そのことに、県大会の上演中、舞台監督の席で高橋さおりは遂に気がつく。自分が本当に表現したかったことに覚醒する瞬間だ。小説は文句無しに、このシーンが一番良かった。

映画は当然、吉岡不在の部室で、それでも全国を目指すことを辞めないことを決意表明する部長高橋と、部員たちが叫ぶシーン。映画の一番の山場もこの辺りなので、その後の県大会がどういう結果で全国に行けるのかどうかとかそういうのは描かなくても良いのだろう。あのラストは良かった。最後まで爽やかだった。