これ前もどこかでボヤいた気がするんだが、最近のSNSは友人候補機能があって、自分の知り合いかもしれない人を高精度で見付けて来てくれます。そのリストを見ていて仲の良い知り合いを見付けると「おお、知り合いの○山○子さんや!!友人申請、ポチッとな!!」となる場合もあるんです。…が、大概は違います。
どちらかというと「○田○郎さん…??ああ、高校のとき隣のクラスにいた人だ。名前は良く知ってるけど、喋ったことないよな…」みたいな非常に微妙な感じになって、もちろん今からでもお近づきになりたいし相手さえ良いと思ってくれるなら是非ご友人にもなっていただきたいのだが、こちらから申請ボタンを押してしまうのは烏滸がましいような、どうしようかなあ…というジレンマを起こす場合が大半なのです。
既にmixiやFacebookの友人候補リストにいたポチッとなパターンの人とは一通り「友人」やマイミクになってしまったので(だってそういう人とは即座に繋がるし)、結果的に微妙な距離感の人たちだけがリストに残っているという状況なのです。もやもやもや。皆さんはこういうのどうなんでしょう。
SNSを利用していると、所詮機械には「友人である」というのが0か1の情報でしかないんだなと実感させられます。実際は、人間には「ただ一度喋ったことはある」とか「友人の友人で話は良く聞くけど直接喋ったことはない」とかいう実に微妙な関係から、ほぼ毎日一緒に行動している親友まで、他人との距離感には様々なパターンがあるわけです。
たぶん、それは0か1の情報ではなく、段階別に0から100くらいまで幅があると思います。
人間と機械の超えられない壁
「本当はこの人とも友人になれたはずなんだよ」
最近の友人候補リストを見ていると、どうもFacebookやmixiからこう言われているような気分になるのです。その人と「友人」になる機会は幾らでもあったのに、自分はみすみすそれを逃してしまった。ほらほら共通の友人は○○人もいるんだよ?自分が如何に勿体ないことをしていたか分かる?って言われてるような何とも言えない残念な気持ちになってしまうのです。
だからといって別にこの機能を無くせとか言うつもりも毛頭ないんですけど。
確かにお互い顔も名前も知っているだろうし、リストを見に行くといつもその人がいて、共通の友人が20人とか30人とかって数字だけがどんどん膨れあがって行きます。でも、喋ったこともなければやはり「友人」とかマイミクになるということはしないわけで、ずーっとリストに残っています。
要するに人間はそんな理由で「友人」を作る生き物ではないということです。特に小学校や中学校が同じだったという程度の人ともなると大人になってからこうしてSNSで相手の名前を見付けたところで逆に気まずいだけなのです。
友人候補機能は、人間と機械の超えられない壁が垣間見える不思議なツールなのです。
要するに
いつもリストにいるあの人やあの人、あの人とお友達になりたいけどどうしよう、と悶々としているわけです。
追伸:おまけ
面白いのを見付けたので引用しておく。*1
友人の勤め先がついに従業員全員にFacebookの使用を義務付けたらしい。
言わんこっちゃない。
日本ではこうなるのが目に見えてたからずっと反対してたんだ。
これで上司の投稿を逐一チャックして、競って「いいね」ボタンを押すというコントが始まる。
— エターナル総書記 (@kelog21) March 11, 2012
上司に「facebookやれ」「mixiコミュに入れ」「twitterアカウント教えろ」って言われるのを『デジタルハラスメント』と名づけたい
— 押田和希 (@rinrin_kit) March 10, 2011
*1:例によって:ツイートを引用させていただいた2名の方へ。問題がありましたらご連絡ください。即刻修正いたします。