まずは以下のエントリーを参照されたい。
MAMApicks -子育てトレンド&育児・教育ニュースサイト- : 真冬の公園にDSする小学生がたむろしている理由
世も末なのは子ども自身のせいじゃない。なぜならその児童公園は、今や「大声を上げること禁止、ボール禁止、ラケットもバットも禁止、飛ぶもの全部禁止、車輪禁止、もちろん自転車も禁止」なのだから。
(※本文より抜粋)
公園で遊んでいれば、100人に1人くらいは大怪我をすることだろう。下手をすれば死ぬかもしれない。それが我が子ともなれば「運が悪かった」では済まされないので、子を持つ親たちはついつい規制/禁止の思想に走りがちである。しかしこの「運」などといった事情も含めて、幼少時代には様々な「世の理」を経験しなければならない。大人になってからじゃあ遅いのだから。
街の子どもたち100人の成長の機会と我が子1人の命とでは比べようもなかろう。ここで重要なのは、危険な行為を禁止/規制することで我が子がそうした目に遭う可能性を徹底的に排除してしまった結果、全ての子どもたちから「何が危険であるか」「如何に危険を回避するか」を学ぶ機会までも奪っているという点である。
どこまでは許可して、どこからを禁止するというのは所謂「線引き」の問題であり、正解は存在しない。しかしいまの世の中はどう考えても異常な位置にこの「線」が引かれている。
同じことが情報社会でも起きつつある
参照:食べログのやらせ問題 法規制難しいネット口コミ 見極めは利用者自身で - MSN産経ニュース
消費者庁は調査に乗り出したが、「おいしい」などとする情報は法規制にはなじまない。がっかりしないためには利用者自身が見極めるしかなさそうだ。
(※本文から抜粋)
食べログ(口コミサイト)がステマだらけだったということで一時期騒然となったことがある。これ自体も呆れた話ではあるが、どちらかというと自分が驚いたのは、ネット上で「ひどい」「騙された」「もう信じない」というリアクションが多かったことの方だ。
逆に聞きたい。「もう信じない」って言う人は、いままで全部信じていたのかと。
これも結論から言えば公園で遊ぶのと同じなのだ。ステマが存在するなんて知らなかったと言っている人は、滑り台から落ちる危険性を知らない子どもと同じだし、ネット上のステマややらせを徹底的に無くせと本気で叫んでいる人は、公園の遊具を全て撤去するようにクレームを付ける親と同じなのだ。
情報を売り物にしている人間が跋扈しているのがインターネットの世界である。当然そこにステマややらせが存在しているという程度のことは常識として学ばなければならない。
マジレス=思考停止である
以下に2件のツイートを引用する。*1
食べログのやらせ問題も大相撲の八百長問題もそうなんだけど、当然そういうことはあるだろうなということを織り込んで判断するといったプロレス史観がどんどんと失われ、情弱のマジレス運用が社会のデフォルトになっていることに微妙な恐怖感を覚える
— igi (@igi) January 5, 2012
つまり「口コミなんだからノイズくらいあるだろ」がスタンダードだったのに、「口コミサイトはノイズだらけだ!ひどい!」がスタンダードになりつつあってなんか怖いと。
— TearTheSky (@TearTheSky) January 5, 2012
繰り返しになるが、公園の件もステマの件も結局は「常識」という名の線をどの水準に引くかという問題である。上記2名が指摘する通り、この線はどんどんと「マジレス」の方向に流れて行っている。マジレスがデフォルトになりつつあるということは、すなわち人々の思考停止が常識になりつつある傾向を示している。
なぜなら、
- 「公園で遊ぶと怪我をすることもある」
- 「ネット上にはステマ業者がいる」
本来こんなのは少し考えれば分かることであったはずだからだ。
ちょっと思い出を語る
自分が小学校2年生のときの担任教諭が本当に良い人だった。諸君、君たちのように元気いっぱい遊んでいると多少の諍いもあろう。きちんと相手と話し合ってご覧なさい。そしてそれでもダメなら、正々堂々、拳を交えるが良い。それが許されるのは今だけだから。但し武器を使うのは絶対に許さない。…そういう先生だった。
この先生の当時の方針に対しては賛否あろうが、最大限その意図を汲むならば「きちんと相手と話し合うこと」だけではなく「他人を攻撃する/される痛みを小学校低学年の間に学んでおけ」という裏の意味も込めていたのだろうと思う。小学校生活時代、所謂クソまじめ系の女の先生が多く、品行方正で大人しい子たちが評価される(=元気溌剌系の連中は度々どやされる)傾向の強かった中で、この恩師との出会いは衝撃的だった。
他人を殴ってはいけません。痛いから。じゃあ、どのくらい痛いの?それは、子どもたちが実際に殴られなければ学べないのだ。この担任教諭はそれを訴えていたのだろうと、いまならば考えることができる。
余談だが、我が家ではガキの頃、兄は頭を切って縫ったことがあり、姉は腕を骨折し、自分は歯を折り、弟は手を大火傷したことがある。100人に1人どころじゃあない。悲しいかな、四人兄弟全員クソガキでした。
世の中の「常識」は既にかなりヤバイ段階までズレている
ひとつ勘違いしないでいただきたいのは、自分は公園で子どもが大怪我をしたり、最悪の場合死に至ったりする事例自体を肯定しているつもりは一切ないし、他人を傷つけるような遊び方をしろと言うつもりも毛頭ない。更に言えば、ステルスマーケティングそのものは許されるべき行為ではないとも考えている。
本エントリーは「ノイズや危険性の存在を意識できる程度のことは常識であって欲しい」という題で書いている。人によっては本当に本当に、本当に呆れるほど当たり前の話なのだが、実は世の中の大半はそうではないらしい。子どもたちは危険性の存在を意識するどころか、それを学ぶ機会まで奪われている。大人たちでさえ、ノイズの存在から身を守る術を学ぼうとしない。
いつの間にか、世の中に存在する「常識」という名の線はかなり異常なところまでズレてしまっている。我々は警鐘を鳴らさねばならないように思うのだ。
*1:ツイートを使用させていただいた2名の方へ:問題がありましたら連絡を下さい。即刻修正いたします。