さびしさは鳴る

頭の尾っぽを振りながら、絹代は机を囲んで大騒ぎしている雑草の束のもとへ走っていく。どうしてそんなに薄まりたがるんだろう。同じ溶液に浸かってぐったり安心して、他人と飽和することは、そんなに心地よいもんなんだろうか。

その他大勢になりたくないし、普通の人になりたくない。日々葛藤である。

例えば、成人式なんか行くもんじゃねーぜ、と思う。けれどそのこと自体には特に思想はない。他人が成人式にホイホイと尻尾振って大喜びで参加している姿を見ているからこそ「行くもんじゃねーぜ」と思うわけだ。仮に、若者は成人式になんか行かないのが普通ですって風潮の別の世界があって、自分がその世界の住人だったら、やっぱり成人式には行っておこうと思うんだろう。要するに他の人たちと違う様でありたいわけだ。

破天荒でありたいというか、異端でありたいというか、けれど世の中で暮らしていくには社会に順応しなければならないし、結局は自分のそういうアホらしい思想は曲げなければならない(携帯電話を持たなきゃならないとか、就活しなきゃならないとか、そういうの)。

ただ、薄まりたくない。何かしら薄まらないものを持ち続けていたいと思う。