ハリガネムシ

久々の学指揮合奏だった。

はっきり言ってめちゃめちゃだし、振り間違えるし、不甲斐ないし、棒はヘタクソだし、実は喋ってる内容も時にはハッタリだったりするし、総じて無駄が多いと自分でも思う。

でも人一倍、音楽に対して掘り下げて勉強してるつもりだし、広い視点を持てるような努力をしているつもりだし、自分の持てる最大限の誠実さを持って向き合っているつもりだ。

合奏でみんなに伝えたい事は山ほどあるし、やりたい事も本当にキリがないくらいある。そして、もちろん俺の技術じゃあ到底できないことだってたくさんある。効率よく、順序よく伝えて行く事がベストだけど、兎に角、俺には次から次へと湧いて出る問題を片っ端からやっつけて行くことしかできない。でも「それしかできない」ならば、逆に俺がやるべきことは明白だと言える。

できねーもんはできねーんじゃい、って感じに諦めてヤケクソになっているわけじゃあない。アマオケの、ド素人なりの器量と技術で、根性を見せるしか無い。ただの学生指揮者だけど、だったら、ただの学生指揮者なりの精一杯のアプローチをするべきだと思う。そういう考えだ。

指揮者が合奏を指揮するというのは、奏者たちの音楽を創るという行為に近いものを感じる。「音楽」が奏者の作品だとすれば、その基となる「合奏」は学生指揮者の作品のようなものかもしれない。

合奏を良い雰囲気で盛り上げて、みんなの音楽的アプローチをより良い方向に導く事ができたとき、いわゆる「良い合奏をやれたとき」は、あたかも本番のステージ上で良いパフォーマンスを発揮できたときと同じような感じがする。感じがするといっても、そんなふうに感じたことはまだまだ皆無なのだけど。

やりがいを感じるのは、俺の合奏の前に通らなかったところが通るようになる、みんなの音が変わる、ここってこんな音にしてみようよっていう俺の考えにみんなが応えてくれる、そういう方向に実際に変わって行くことを実感する瞬間だ。それは奏者であるみんなと、俺が「指揮者として」一緒になれる瞬間でもある。

特に今日やった第九の4楽章。冒頭からしばらくはVcの首席(彼女も学生指揮者なんだけど)と以心伝心できなきゃならない。ココ!っていうポイントの拍が何ヶ所もあるのだけど、その度に何度も目が合って、そこに息を読み合うやりとりがある。同じ方向に音楽が進む瞬間の楽しさは言葉にならない。

合奏を指揮させてもらうようになって1年以上、そして残り2ヶ月くらいだけど、ようやくその辺りのレベルには何とか達せたのかな、と思う。本当に幸せな経験をさせてもらっていると思う。

とは言っても、もちろんまだ到底自分を褒めてやれるような具合じゃあない。これも丁度1年前くらいに日記に書いた事だけど、下手をすれば団員たちの1日を無駄にしてしまうのが学生指揮者だ。失敗は絶対に許されない。合奏を作品に喩えるのだとすれば、良い作品に仕上げる試行錯誤は最後の瞬間まで突き詰め続けなければならないし、俺の合奏もまだまだ試行錯誤の余地は有る。その努力を惜しむことはあってはならない。

学指揮合奏は、あと3回である。