アマデウス・モーツァルト

返事と敬語は中学生の頃に叩き込まれたから自然に身についた。


しかしプロは返事なんかしないらしい。
実際、合奏で馬鹿の一つ覚えの様に真面目に返事する必要なんか全くない。
返事なんかより他に集中すべきことは山ほどある。


敢えて、必ず返事をするという選択をしているのにはちゃんと理由がある。
俺はちゃんとした理由と信念を持って臨んでいるし、聞かれればそれを明確に答えられる。
そうでなければ大学生にもなって糞真面目に返事なんかしていないだろう。


もちろん中学生の最初の頃は「先輩に怒られない為」とかいう、
便所の鼠の糞にも匹敵するアホな理由だったのも事実だけどね。
いまはそうじゃない。


指揮者の先生も「理由がないことはしない」と仰っているわけですし。
理由がないことはしなくていい、寧ろ無駄なことはしてはいけないのです。


要は返事なんかいらねーと思ってる人はわざわざする必要なんて全くない。
茶髪は好きか嫌いかみたいなもんで別に悪い事じゃあないし、個人差はあるはずだ。


長い前置きでした。
ここから本題。


なぜ社会には敬語と敬称が存在するのか。
そんなもんなくてもコミュニケーションとしての言語は成立する。


つまり、これについても明確に理由が説明できないと「無駄なこと」になりかねない。
社会がそういうもんだから、っていうイデオロギー的なのはなしね。


俺が思うに、



やーめた。
ケータイで打つのめんどくせえ。


つべこべ言わねーで敬語くらいきちんとしようぜ。
礼儀だ礼儀。


敬語も使えないで何が「仲良い」だよ。