終演

奏者に「先輩」も「後輩」もないし、同じ舞台の上で音楽をやる以上、人間は対等であるべきだと思う。

そのことを念頭に置いた上で敢えて言うのだが、ある意味OBというのは「当事者ではない」みたいな意識があって、悪く言ってしまえば手抜きになることも可能なのだが、良く言えば一歩引いた目線や適度な脱力感・開放感を持って音楽そのものに没頭できるという側面がある。

今年はときどき、妙にそんなことを感じたりした。でも、そんなことを考えるのは「ときどき」であるように、少し気をつけながら。四六時中そんなことを感じていては、人間は手抜きの方向に流れてしまうからだ。

悲しいかな、これは留年をしたクソ野郎どもに与えられた、ささやかな特権なのかも知れない。

上手く表現が見付からないし、この文章は後輩諸君にかなり誤解を与えそうなので心配ではあるが、決して悪い捉え方をしないで欲しい。自分はただただ、最高のひとときに対する感謝と喜びを述べているだけなのだ。

f:id:epytoerets:20120310142437j:image:w400*1

こうしていると、自分たちの代に思いを馳せざるを得ない。当事者というのは何もかもが特別な意味を持っているので、全てが力一杯であり、精一杯である。それはもちろん、これ以上ないくらい素晴らしいことなのだが、そういう切迫感とか緊張感みたいなものから距離を置いた立場で、もう一度「卒団演奏会」の舞台に立たせていただけたことに感謝しています。

本当に楽しかった。ありがとうございました。

*1:ところで、この写真を良くご覧いただきたい。お分かりいただけただろうか?なんと指揮台にティンパニが並んでいるのである。