劣等感カテゴライズ

俺は何度かいじめに遭った。


はっきり言う。
俺をいじめた奴等は何も悪くなかった。


これは恐らく、全国共通だろう。
小学校でいじめられる奴は中学でも高校でも、大抵いじめに遭うもんだ。
ならば、そいつに原因があるに決まってる。


少なくとも7割はいじめを受ける奴が悪い。
ちなみに「悪い」というのは、善悪の話ではなくて、ここでは「原因がある」という意味で使っている。


更に言えば、実は「いじめる人」も「いじめられる人」もいない。
「いじめられやすい人」がいるだけで、あとはそういう人間がいる場所にいじめが自然発生するだけだ。
砂場に磁石を投げ込めば砂鉄がたくさん着くのと同じ。
くっついて来た砂鉄を責めても始まらない。
だから「いじめる」という動詞があるのは少しおかしいのだ。


いじめの「方法」として、卑怯で姑息な手段を使うのは確かに許しがたい。
しかしそれはまた別の話である。
あくまで、いじめが発生するか否かの段階では、いじめる側の無罪を強調したい。


自分はどうしていじめを受けるのか。
つまり何故「いじめられやすい人」なのか。
それが分からない奴等がいるらしい。


そういう、どうしようもなく馬鹿で人間のクズみたいな奴等が自殺をする。
ニュースになる。
たまたま、そいつをいじめてただけの普通のガキ共は将来に渡って犯罪者の様な扱いを受けることだろう。
良い迷惑。


そもそも、自殺するというのは間違ってるとか以前に「ズレてる」と俺は思う。
何故そういう発想になるのか。考える方向性が常識的じゃない。


風邪を引いたら、薬を飲んだりして治そうとするのが普通。
喉が痛いからって、首を切り落とす奴はいない。
自殺はそのくらいズレた発想だと俺は考える。


俺はいじめから多くを学んだ。
少なくとも、今の俺の人格を作る上で、いじめは大きく作用している。
初めは俺も、ほとんどのガキがそうである様に、いじめる側の人間を殺してやろうかと思っていた。
中学を出る頃になってようやく、自分の中の原因を探り始めた。
高校の時に、自分と他の人間は何が違うのかを毎日考えた。
そこで、やっと自分が100%悪かったことに気付く。
そこから自分の性格、言葉遣い、振る舞い、容姿、その他多くの改善をする必要に気付いた。
そして今の俺である。


要するに今の俺を作るには、いじめが不可欠だ。
大人になるまでにいじめが必要な人間、そういう奴等が「いじめられやすい人」だろう。


ただのそういう人間が勝手に自殺しただけで、そいつを被害者の様に仕立てあげる世の中は間違っている。
と、俺は思う。